#01Kaoru onishi

上司の言葉を支えに
廃番寸前の商品を守り、
数年後にその言葉を
実現させ、
主力商品に成長。

入社して最初に担当した商品が、高い商品力があるにもかかわらずターゲットや販売手法により廃番の危機に直面した時、あなたはどうするだろうか?たったひとりの担当者になっても、商品のポテンシャルを信じ続けた大西。その胸には、「売れる」「社会に貢献できる」という商品に対する信頼と上司のひと言が支えとなっていた。

大西 郁 Kaoru onishi

2007年入社
農学部農業開発学科 卒業
戦略推進部 開発マーケティング室 マーケティングチーム長

入社直後から廃番危機になった
担当商品『KOMA』。

まずは『KOMA(コーマ)』という商品について説明していただけますか。

草の発生を抑える『防草シート』と呼ばれる商品です。ユーザーは国土交通省や地方自治体、道路管理会社のほか、一般企業でもお使いいただいています。道路脇や線路脇に雑草が生えないようにすることで、景観保護と車両事故防止に貢献しています。近年は手軽に雑草を防げると、一般家庭でも使われ始めました。数年前に比べると需要が伸び、受注数量も6倍以上に増えている商品です。

再生ポリエステル不織布。
太陽光を99%以上遮光し、雑草の光合成を抑制する。

『KOMA』復活の立役者と言われていますが、そんなに売れていなかったのですか。

立役者なんてとんでもない(笑)私が2007年に中途入社した時、『KOMA』は売れ筋商品だったんですよ。最初からダメな商品じゃなかったんです。当時、『KOMA』は特に高速道路向けに多く販売していました。道路工事に使える資材は仕様や規格が細かく定められています。『KOMA』はその仕様に適合していて、それだけでも実は凄いことなんですよ。きっと発売当時、先輩社員たちがもの凄い営業活動を展開したんだと思います。もともと高速道路の道路脇を使用場所と想定して開発された商品なので、狙い通り。しかも、当時は競合が少なかったので、高速道路の整備が活発になるのに合わせて売上を伸ばしていたそうです。

すごいですね!発注がどんどん入ってきそうですね。

ただ、そう長続きしなかったんですよ。高速道路建設が増えれば売上も上がりますが、新しい高速道路建設がなくなれば、今度は営業活動する場所すらなくなるんです。そして私が入社して担当した頃から公共事業が大幅に縮小されて、新しい高速道路の建設が止まり始めた頃でした。『KOMA』も徐々に売上が下がりはじめていたと思います。もともと高速道路向けの商品でしたから、提案先を失って手詰まりになった感じでしたね。「もう『KOMA』の役目は終わった」という雰囲気で。当時の公共事業の縮小はものすごいスピードでしたから。

でも、なんとかしたいという想いがあったんですね。

入社して最初に関わった商品が、いきなり敗戦処理っていうのもアレじゃないですか(笑)。それに私は高速道路向けという先入観がなかったので「もっと他に活用場所はあるのに」と思っていました。それこそ、土木分野での担い手不足は当時から問題になっていましたから、除草の手間を省いて人手不足を解消する社会貢献商品だと思っていたんです。実際に商品の満足度は非常に高かった。“使う場所がなくなった”という理由だけで、商品が悪かったわけじゃないんです。「場所を変えれば『KOMA』はもっと活躍できる」という想いを実現しようと準備を始めた矢先、『KOMA』を扱う部署が他部署と統合したことで、それまでの担当分野から少し距離を置くことになってしまいました。自分なりに動き始めた矢先のことだったので、消化不良な感じでしたね。

除草の手間を省いて人手不足を解消することで社会に貢献。
Close up!

小泉製麻の資材事業
(各種産業資材の製造販売)

農業資材
  • ハウス栽培や露地栽培などの、栽培手法に合わせた資材。
  • 農作物の品質向上、収量増加、農作業の効率化をサポート。
ハウス内の環境を管理する
「ビーナスカーテンシリーズ」
光を反射して光合成を促す
「ルンルンシート 白ピカ」
緑化土木資材
  • 植樹などの緑化事業やインフラ整備で用いられる資材。
  • 環境や景観を保護したり、街や道路の安全を守る。
路面が凸凹になるのを防ぐ
「バロン透水シート」
植樹をecoに効率化
「エコプランター®」

上司のひと言を胸に
『KOMA』の低迷期を
ひたすら支えた。

大西さんご自身と『KOMA』はどのように?

新しい部署の取り扱い商品のラインナップには『KOMA』も入っていたんですが、みんな「『KOMA』は役目を終えた」というイメージを持ってしまっていて、誰も扱いたがらなくて。以前の部署での扱いを100とすると、新部署では1あるかないかぐらいの扱いで。とりあえず行き場がないから置いてある、という感じでしたね。

でも、大西さんはそうは思わなかったんですよね。

志半ばで終わってしまったのと、小泉社長が私の直属の上司だったとき、ちょうど部署が統合されるかどうかぐらいのタイミングで「『KOMA』はやり方が悪かったんだよな?商品が悪かったわけじゃないよな?いつかもう一回やろうな」という話を二人でしていたんですよ。だから『KOMA』が絶対に廃番にならないようにしないと、と思っていました。
でも、私も新しい部署で売るべき商品というか、部署としてプッシュするべき商品が当然あります。だから、新しい部署での商品をできるだけ力を入れて営業して、『KOMA』の扱いは余った時間や優先順位低めにしていたつもりだったんです。でもそうするうちに、『KOMA』のことがわかる人がみんな異動してしまい、気がつくと私だけが残っていて。なので「『KOMA』のことは大西に聞け」みたいな感じで、『KOMA』の問い合わせが私に集中することもありました。そういうこともあって、周囲から『KOMA』の業務に集中しているように見られていたかもしれません。自分としてはメインの商材を優先して動いていたつもりだったので、やっぱり悔しさはありましたね。

小泉製麻の産業資材を集めたサンプル集。
原反(げんたん)とは加工する前のロール状の生地のこと。

他の商材も頑張っているつもりなのに、“『KOMA』の大西”みたいな扱いになっていると。

問い合わせや受注対応も、あくまで依頼に対応するという受け身の姿勢でした。その中でお客さまと話をする時にチャンスがあれば『KOMA』のことを軽く紹介してみたり、少しだけ反骨心のようなものを持って取り組んでいたのは確かです。
『KOMA』はこのまま日の目を見ることがないかもしれない。でも、小泉社長の「商品は悪くない」というひと言を信じて、今は耐えるしかないな、と。それで3年ぐらい耐えました(笑)。とにかく問い合わせが来たら丁寧に回答、発注が来たら迅速に対応をしていくことで、ラインナップには残るように努力を続けていました。

『KOMA』とともに部署を異動し、
復活のノロシを上げる。

『KOMA』復活のきっかけは何だったんですか。

2012年くらいですかね。私は産業資材事業部にいて、当時担当していた土木関連企業へ提案する商材に『KOMA』が最適だと考えていました。それで提案の準備をしていたら、新規事業を担当する部署だった事業開発部でも土木関連の商材に力を入れることになって。ちょうどそのタイミングで私も事業開発部への異動が決まったんです。それでようやく『KOMA』を道路以外の分野で応用すべく動き出せることになったんですが、ここまで来るのに3年掛かりました。実はその時に事業開発部の責任者だったのが小泉社長で。「いつかもう一回やろうな」と言っていた小泉社長が『KOMA』に携わるチャンスをくれたので、これはもうやるしかないな、と(笑)

一時は廃番の話が出たこともあるそうですが、ここから復活のノロシをあげていくんですね。どんな活動をしたのでしょうか。

とにかく新しい顧客をどんどん増やそうと、ただそれだけです。近道はなかったですね(笑)。しかも、そこで「3年前に小泉社長と話したことを実行していこう」と思っていたら、もう社長はとっくに動いていて。「私はもう先に始めてるから!大西くんも早く動けよ!」と(笑)。営業先も、土木工事を請け負う会社なら公共工事も民間工事も区別せずに企業を回ったり、土木関連の商材を扱う商社や問屋へ訪問したり。土木分野に関係してそうな企業へガンガン訪問していきました。その結果、土木関係の会社なら必ずニーズがある商品ということがわかって引き合いも目に見えて増え、受注数量も数年で6倍以上になりました。もちろん、この結果は商品の細かい仕様に融通をきかせたり、小回りが利くという小泉製麻ならではの対応力や営業力が大きな力になりました。

社用車で営業先に訪問。
Close up!

小泉製麻の売上高の推移

2018年77.1億円

新しい事業分野への展開や商品ラインナップの拡充が要因

やり切ることで得た
『NO KOMA , NO LIFE.』の想い。

当時、さまざまなチャレンジをしていたと思いますが、一番のチャレンジはなんでしたか。

あまり特別なチャレンジはしてませんでした。ニーズがあることはわかっていたので、『とにかくやるべきことをやり切る』ということですね。あとは上司が一番動いているから、遅れを取らないように動こうと思って活動量を増やすことで、クライアントの数も増やそうとしていました。ターゲットとなる企業や団体に営業活動を行っていると『KOMA』を含めて、それまで売れ行きが良くなかった商材もいっしょに売れ始めたんです。10社営業して1社に採用されていたのが、100社に営業したことで採用先企業も10倍になった、そんな感じでした。お客さまが10倍になったので現場でのお悩み相談を受けることも多くなって、その中で新商品のネタも生まれたり、売上以外にもいい影響が出ましたね。

当時は、今の社長が事業開発部の陣頭指揮を取っていたんですよね。

私が事業開発部に合流した時には、部署全体がものすごい勢いで走っていました。私も最初から全力疾走していたんですが、異動後3カ月ぐらいした頃「そろそろ本気で走れよ」って、今の社長から言われたんです。私としては、3年前の約束を守ろうと結構必死で走ってたんですけどね(笑)。追い打ちで「3カ月はリハビリや。そろそろ行くやんな」と。いや、もう結構行ってるつもりですけどね、と思いつつ(笑)。でも、その言葉に刺激を受けて、活動量がグッとアップして自分自身でもわかるぐらい変わりましたね。

大西さんにとってのOne Stepは『KOMA』を諦めなかったことだと思うのですが、そのOne Stepで得たものはありますか。

『やり切ることの大切さ』ですね。『KOMA』を復活させられないままだったら、私は小泉製麻の社員としてはおそらく不幸な社員になっていたでしょうね(笑)

小泉製麻での会社員生活を『KOMA』とともに歩んできたんですね。

『NO KOMA , NO LIFE.』って感じですね(笑)。商品って生かすも殺すも、それを扱う担当者の想い次第だということを身をもって教えてくれた商品です。

社長からひとこと

彼とは同い年なんですよ。私自身『KOMA』は磨けば光る原石だと思っていました。でも、なかなか手を付けられなくて、大西くんには苦労を掛けました。実は彼、話すのが苦手なんです。でも場の空気を作れる強みがある。私がよく言いすぎてしまった時に、彼が上手に空気を作ってくれて救われたことが何度もあります。私をよくフォローしてくれました。これからは、フォローだけでなく、リーダーとして人を引っ張る方でも頑張ってもらえることを期待しています。

経営理念の視点から

崖っぷちに立たされた『KOMA』を廃番の危機から救い、看板商品にまで育て上げたメンバーのひとり、大西。「社会に貢献できる商品」という想いと、上司からの言葉を胸にアクションを続けました。その結果、『KOMA』は「地球と人に優しいくらしを提案します」の経営理念を具現化する小泉製麻の商品群の中でも欠かせない商品となりました。

Other Step